とんねるず 石橋貴明が久方ぶりに扮した、懐かしのコントキャラ「保毛尾田保毛男」について、番組放送の翌日、フジテレビ社長が謝罪したことで、ネットの中も盛り上がっているようですね。
「ハゲねたOK」と「LGBTだとNG」の狭間 保毛尾田騒動に乙武氏らが参戦
2017年10月11日 18時36分 J-CASTニュース
問題となった『とんねるずのみなさんのおかげでした 30周年記念SP』(2017年9月28日放送)では、ゲストのビートたけしと一緒に立ち食いそばを食べた程度で、石橋に関して言えば、登場時だけはキャラの顔を作っていたものの、その後は(メイクはしているものの)素の表情でした。そもそも、ビートたけしの前では緊張しすぎて、キャラを保てないのが石橋貴明。TBSの『日曜ゴールデンで何やってんだテレビ』(2012年)が、あっという間に打ち切られたのも記憶に新しいところです。
問題となった番組では、取り立てて「保毛尾田保毛男(ホモオダ ホモオ)」である必要はなかったわけで、キャラをいじったのも、冒頭のわずかな時間のみ。30周年記念の飾りとして、思いついた人気キャラがこれだったというだけなんでしょう。
でも、LGBTの支援団体や個人が連名で抗議文したということは、大事なこと。
いろいろ、納得できるまで議論するといいと思います。
思うに、この番組の内容がひどすぎた、というよりも20数年前に、このキャラの影響でからかわれたり、いじめられたりした記憶がよみがえることの方が辛かったのではないでしょうか。
それは本当に辛いことだと思います。
世界中で、日本でもLGBTのレインボーパレードが行われ、性的マイノリティの権利が見直されつつあるはずのこの時代に、いまだ「保毛尾田保毛男」で笑える人たちがマジョリティを形成していると考えると、かなり憂鬱であったはずです。
一応私も、LGBTアライ(LGBTの理解者のこと)のステッカーをもらったりしていますので、軽く言及してみたいと思います。
「笑い」と「差別」の関係に無自覚な日本
日本には、素晴らしい文化・風俗がある一方で、改めるべき文化・風俗が多くあります。
「笑い」の構図にも、その一端が表れています。
端的に言えば、日本では「日本人は、みんな同じ」といった幻想が強いので
「みんなとちょっと違う存在をからかう」ことが、笑いのベースになっています。
お笑いのプロである芸人たちは、独自のネタの中では、
そうした簡単な笑いの構図に陥らないように気を配って、さまざまな工夫をしているのだと感じますが、テレビのバラエティ番組では、
「変わった人をいじる」
「(運動や絵などが)下手な人をいじる」
クイズ番組ではもっと端的に、
「馬鹿を笑う」
という構図が変わらずに展開されており、
お茶の間の人気を集めています。
日本テレビ系列の『笑点』は、笑いが含むトゲが視聴者に向かっていかないように、演者それぞれにキャラをつけて、演者同士でいじり合うという構図を意図的に作り、それを演じ続けています。それも、お互いに落語家としての看板があるし、芸もあるので、下品な罵り合いにはならないから、見ていて心地いい。
たまに時事ネタをキレイに料理するから、視聴者の留飲も下がる。
歌丸師匠が回答者だった時代には、この時事ネタは歌丸師匠の担当でしたが、今は三遊亭円楽(6代目)の役割になっていますね。
長年高視聴率を維持している背景には、ちゃんとした意図があるわけです。
それでも、笑いには「差別」がつきもの。これは世界共通です。
海外のコメディ映画を観ていても、隠れた「差別」のトゲが胸に刺さることがあります。
しかし、この構図を自覚しているかどうかで、アウトプットはかなり変わるようです。
代表例は、アメリカのスタンダップコメディ(Stand-Up Comedy)でしょう。
国籍・人種・宗教・性……異なる集団同士の緊張を緩和させるユーモア
コメディアンがステージに1人で上がって、会場を相手にユーモア溢れるトークを繰り広げるのが、スタンダップコメディ。
エディ・マーフィーやウーピー・ゴールドバーグといった大スターが生まれています。
つい最近NHK『スーパープレゼンテーション』で知った、イラン系アメリカ人のスタンダップコメディアン(Stand-Up Comedian)、マズ・ジョブラニがまた、面白かったです。
6歳で家族と共にアメリカに移住してきた彼は、“中東の人々やイスラム教徒への偏見をなくすこと” を目標に、スタンダップコメディを続けているといいます(出典:番組ナレーション)。
本当に素敵だなと思います。
番組では彼のライブが2本使用されていたので、ジョークを全部引用することはできませんが、たとえば↓これ。
イラン系アメリカ人って大変だよ
イランとアメリカは仲よくないんで
僕の心の中でも 対立が起こるんだ核問題とか
自分の中で意見がまとまらないしby マズ・ジョブラニ
これで場内の観客も、ちゃんと笑っています。
核兵器という深刻な問題に対して、目の前にいる知性的な人の意見が、「自分の血筋」で決まるわけがないと分かっているから、笑えるわけです。ユーモアです。
国籍・人種・宗教・性など、見た目や主義主張が異なる相手に、敵意や恐怖、警戒心を抱くのは、“相手のことが分からないから”。
互いの無理解ゆえに生まれる緊張を緩和するために、自分たちの属する集団の実態を軽やかに伝えるユーモアが、有効に働いているわけです。
ユーモアを武器に、今も続くアフリカ系アメリカ人の公民権運動
そんなマズ・ジョブラニも憧れたという大スターが、エディ・マーフィー。
彼は、白人社会アメリカで、黒人差別に笑いで立ち向かった黒人のコメディアンです。
伝説的な人気を誇ったTV番組『サタデー・ナイト・ライブ』で、大人気を得た彼は、ハリウッド デビューから4作目となる『ビバリーヒルズ・コップ』(1984年)でその人気を不動のものとします。
『48時間』(1982年)『大逆転』(1983年)と、白人の主人公の“変わった相棒”という役回りを演じていたエディ・マーフィーが、この『ビバリーヒルズ・コップ』では、白人だらけの高級住宅街“ビバリーヒルズ”にデトロイトから乗り込んできて、駄目な白人警官たちをかき回しながら、友人のカタキをうつために大暴れします。
非常に軽いノリの作品でしたが、これが大ヒット。シリーズ化して3作目まで続きました。
この作品で、エディ・マーフィーが刑事に扮したこと自体が、非常に大きな皮肉であったわけです。
今でも、白人警官による黒人への暴行のニュースが流れ、暴動のタネにもなっていますが、昔は今よりも酷かったわけで、マイルス・デイビスの偽伝記映画『マイルス・ア・ヘッド』(2015年)でも、マイルスがライブハウスの前で警察に因縁を付けられて逮捕されるシーンがありました。
かつて一世を風靡したヒップホップ グループN.W.A.を描いた伝記映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』(2015年)でも、大ヒット曲『ファック・ザ・ポリス』創作秘話として白人警官による横暴と、その白人警官にこびる黒人警官による執拗な黒人いびりが描かれています。
アメリカの黒人社会にとって、警察というのは大きな壁であったわけです。
それを、エディ・マーフィーが独特の太い笑い声と軽快なアクションでコケにしていくわけです。爽快だったでしょうね。まったく関係ない私たち日本人が見ても非常に面白いアクション コメディに仕上がっていて、大ヒットを記録しました。
モハメド・アリが、ボクシングでオリンピック金メダルを獲得したのが1960年(ローマ大会)。
プロに転向して以降、彼は全米を熱狂させるチャンピオンに君臨し続けましたが、彼自身が黒人差別の標的にもなりました。
1967年には、黒人刑事を主人公とした大傑作『夜の大捜査線』が公開され、第40回アカデミー賞で作品賞・主演男優賞・脚色賞・音響賞・編集賞を受賞しましたが、主演男優賞の栄誉を受けたのは、主役の黒人俳優、シドニー・ポワチエではなく、署長役を演じた白人のロッド・スタイガー!
しかも、シドニー・ポワチエは、この作品によって人種差別主義者たちの標的になりました。
この時代に黒人差別撤廃を訴えた、アフリカ系アメリカ人公民権運動の指導者であるマーチン・ルーサー・キング牧師は、1968年4月4日に暗殺されています。
それから16年ほど経過して公開された『ビバリーヒルズ・コップ』。
でも、社会派ではないんですよね。本当にコメディに徹した感じ。なので、どこまで黒人層を勇気づけたのかは分かりませんが、90年代00年代に移り行く時代の変わり目に、エディ・マーフィーの存在が非常に大きかったことは確かです。
しかし、未だに黒人差別は終わっていません。本当の意味で黒人差別が解消されるのは、いったい何年さきになるのでしょうか。
LGBTの戦いは、まだ始まったばかり
1つ確実に言えることは、それでも彼らが主張し、訴えかけていかなければ、事態は変わらないということ。
翻って、LGBT=性的マイノリティの権利や、彼らへの正当な理解が社会に浸透するのは、まだまだ先のことになるでしょう。
戦いは、まだ始まったばかり……というか、日本ではまだ「相手を土俵にあげることができたかどうか怪しい」段階。抗議が届いた「保毛尾田保毛男」について、なんやかんや議論のようなものが続いていますが、その一方で、いわゆる「お姉キャラ」を、見世物のようにして笑いの対象とするバラエティはまだ続いています。
国民を代表する代議士の中には、LGBTを「個人の嗜好」としか理解できない旧石器頭も存在しています。
これから先、日本でどのような議論が続いていくのか、期待したいと思います。