こんにちは、コピーライターの佐藤秀治です。
先日12月4日に大井町きゅりあんで行われた
『Output × 100 ~日本一ハードルが低い発表の場~』Vol.42 にて
お話させていただいてきました。
タイトルは、「『話せば分かる』のウソ。『分かりやすさ』のリスク」と決めたものの
中身については、言いたいこと、盛り込みたいテーマがあり過ぎて、
「どこから、どう話そうか…」を決め切らないまま、アドリブで30分間、お話してきた次第です。
でも、ここは記録の残るブログなので、当日の内容から時事ネタを省き、
なおかつタイトルの解題を大幅に補足しつつ、お伝えしたいと思います。
『話せば分かる』のウソ
ウソ、と書くと少し大げさかもしれませんが、しかし、世の中には対話だけで
解決する問題ばかりではありません。
そもそも、相手に、こちらの話を聞く気がなければ
対話は成り立たないのですから。
たとえば、イスラム過激派組織のISISは、
平和に暮らすごく普通のイスラム教徒の声にも耳を貸しません。
まして、テロの対象となる西欧諸国(キリスト教圏)の声など耳を貸さないでしょう。
一方の西欧諸国(キリスト教圏)も、そもそもイスラムに胸襟を開いていません。
キリスト教的な前提に立った主張を一方的に押し付けるでしょう。
「話せば分かる」なんて簡単な話じゃないんです。
……まぁ、こんな大きな話から、私たちの日常に目を向けてみると、
「話せば分かる」とすぐに口にしてしまう人には、一つの傾向があるように感じられます。
それは、
「話せば分かる」=「自分たちの考えに沿って、相手を説き伏せることができる」
という思惑です。
「話せば分かる」という時の「分かる」には、
「(相手が)分か(ってくれ)る」という前提が含まれていますからね。
「対等に意見を交換して、より良い答えを探ろう」という姿勢ではないわけです。
「話せば分かる」という常套句よりも、「三人寄れば文殊の知恵」ということわざの方が平和的です。
これは、互いの知恵を持ちよって、より良い知恵にしていこうという協調の姿勢です。
ここで重要なのは、「相手を説得する」姿勢ではなく、
自分とは異なる、自分では思いつかない「相手の意見・発想を聞き入れて、理解する」姿勢なのです。
要するに、対話においては、お互いの意見を尊重する姿勢……
きちんと相手の意見を聞く姿勢が大事なのです。
『分かりやすさ』のリスク
とはいえ「聞く姿勢」が整うだけでは、片手落ちです。
対話においては、昔も今も「自分の考えを分かりやすく伝える」ということが重要です。
でもそれは、「自分が伝えるべき相手」のことを思って、
その相手に、どのように伝えたら理解してもらいやすいかを考えることが大切なのであって、
何でもかんでも分かりやすく単純化して伝えればいい! ということではありません。
さらに言えば、相手に対して「もっと分かりやすく話せ。誰にでもわかるように説明しろ」と迫ることは、
決して褒めらる態度ではない……ということです。
今、久米宏の初の自伝本『久米宏です。 ニュースステーションはザ・ベストテンだった』が
売れています。
テレビの報道番組を変えたといわれるニュース番組『ニュースステーション』の
裏側に関する話がいっぱい書かれている、非常に面白い本です。
若い人のために補足すると、『ニュースステーション』は
古館アナが司会をしていた『報道ステーション』の前身番組であり、
報道番組に、華やかさと娯楽的な要素を持ち込み、視聴率の取れるモノに変えた
非常に画期的な番組でした。
さらに言えば、『ニュースステーション』は、「報道番組を低俗なワイドショーのように
変えてしまった」という文脈で批判されることが多い番組でした。特に金曜日の放送は
「金曜チェック」というコーナーが人気で、まるでバラエティのような盛り上がりだったのです。
加えて印象的だったのは、ニュースを読んだ後でメインキャスターの久米宏が
自分の意見を自由に述べるスタイルでした。
『ニュースステーション』がプライムタイムの高視聴率番組として定着すると、
各局が同じようにニュース番組を裏にぶつけてきます。
そして、そのすべての番組が、“キャスターがニュースにコメントする”という
スタイルを踏襲します。
しかし、『久米宏です。~』には、それが「大いなる錯覚」の結果だと書かれています。
その際、僕がほとんどのニュースにコメントを加えたり、自分の意見を自由に話したりしているようにいわれたが、そこには大いなる錯覚がある。僕が実際にニュースにコメントを加えるのは週にせいぜい2回、それもごくごく短い時間だった。当然、自分が思っていることのほんの一部しか口にしていない。
『久米宏です。 ニュースステーションはザ・ベストテンだった』p.232より抜粋引用
結局のところ、コメントのオリジナリティにこだわった久米宏の発言が印象的であったため、
私たち視聴者は、「久米宏は、いつも好き勝手に発言している」と錯覚していたのです。
そして今、夜のニュースではほとんどすべてのニュースに、キャスターを務めるアイドルや局アナが
ニュースを分かりやすく単純化しようとしたり、
視聴者が共感しやすいように感想を述べるのが当り前になっています。
どの番組も同じような状況です。
NHKですら、民放のワイドショーのような様相を呈しています。
先日、『久米宏です。~』の宣伝のために、『伊集院光とラジオと』という朝のラジオに
出演した久米宏は、その場の勢いで「ニュースステーションを降板した後の気持ち」を聞かれて
「後悔したことはある」と言いました。
それは、後任のキャスター/番組が、“ニュースを分かりやすい説明で閉じようとしていた”ことに
ショックを受けたからだったようです。
ニュースをすべて解説するということは不可能なんです。
説明しようとすればするほど複雑になりますから、
分かりやすく説明しようとすれば、かなり(多く)のことに
フタをすることになるんです。
(中略)
そもそも、本当のことは分からない、と思っていて。いくら調べても、あらゆる情報を集められるわけではないという前提があります。
重要なことほど、すべてを集めることは無理なんです。歴史には、表に出ない事実というのが、いっぱいあるんです。
だから、僕は「すべては分からない」という含みを持たせるようにしていたんです。久米宏、2017年10月16日放送『伊集院光とラジオと』での発言内容の一部を、
私の記憶に基づいて要約
そうなんです。
世の中は複雑なんです。
事実は常に多面的で、見る角度を変えると、まるで違うものが見えてくるものなんです。
それを分かりやすく単純化するということは、多くの要素を「伝えない」「見せない」ということに
ほかならないのです。
これ、私がコピーライターとして、実際に自分でもしてきたことでもありますから、間違いありません。
自分が知っている限りの本当の話、素敵な話を全部、できる限りきちんと伝えようと思ったら、
とんでもない量のテキストと時間がかかります。
そして、そんなものを喜んで受け取ってくれる人も少ないわけです。
だから、いろんな要素を削って、シンプルにして、印象に残りやすいようにエッジを立てます。
そうして磨いた言葉の背景には、「クライアントの狙い」という大目的が隠されているわけです。
“誰かの目的が隠れている” というのは、広告物に限りません。
世の中の、あらゆる情報には、発信者によるバイアスがかかっているのです。
分かりやすくするためにそぎ落とされた情報はすべて、
発信者のバイアスを補強するには「邪魔」だったと言えることさえあるのです。
ひるがえって、ワイドショーなどを見ると、取材で得た情報も少ないのに
キャスターやコメンテーターが延々と「これは良くない」「謝罪すべきだ」「ファンを裏切っている」など
もっともそうな意見を繰り返しています。
「これはどういうことなんでしょうねぇ、ナントカさん」とキャスターが話を振ると
フリップをめくりながら解説してくれるアナウンサーやレポーターがいます。
これ、すべてはモノゴトを単純化する作業です。
朝のワイドショーに辟易して、夜のニュース番組を見ても、コメントの内容は似たり寄ったり。
決していい傾向とは言えません。
みんながみんな、他人に「分かりやすさ」を求めることは、非常に怖いことなんです。
かつて、“わかりやすく、民衆の心に訴える演説の仕方” について、ある人がこう書きました。↓
大衆はなかなか理解せず、すぐに忘れてしまう。ポイントをしぼって、ひたすら繰り返すべきである。
こう書いた人物は、自分自身でこの演説テクニックを駆使して多くの支持を得て、
大成功を遂げています。
その人物の名は……もうお気づきの方もいるでしょう。そう、アドルフ・ヒトラーです。
彼は、分かりやすい演説で、不況にあえぐドイツ市民の支持を得て政権を獲得。
アウトバーン建設やフォルクスワーゲンの設立といった経済政策でドイツから失業者をなくすことで
その支持を絶大なものにしていきます。
もちろん、ドイツ人失業者が消えた背景には、ユダヤ人排斥も存在しています。
怖い話です。
さらにヒトラーは言います。
民衆がものを考えないということは、支配者にとって実に幸運なことだ
分かりやすくて受け入れやすいスピーチは、心地よいものです。
でも、そのスピーチの裏に本当は何が潜んでいるのか……それを考える力が重要なのです。
「分かりやすく話してくれる人」を望むよりも、
「自分も考える。互いに、伝えようと努力する。互いに理解しようと努力する」姿勢が大切なのです。
聞く力・本質をつかむ力・伝える力
と、大きな話をしてしまいましたが、そんな想いはあるものの
自分が皆様に貢献できることとして、一体何があるのだろうか……と考えた時に
浮かんできたのが、私がこれまで名もないコピーライターとして、記者として
日本全国で積み重ねてきた経験と、スキルでした。
SOHOの個人経営者から、地方の中小企業の社員、経営者、大企業の社長・役員、
小学校の先生から教育委員会の人々、
大学や、国の研究機関で日々研究にいそしむ方々、
看護師や薬剤師、放射線技師などのコ・メディカルから医師、病院長などの医療従事者、
さらには、地方自治体や中央省庁、代議士まで
いろんな方々にお話を伺って、コンテンツを作成してきました。
そうした数々のインタビューの中で、私は一つの確信を得ています。
それは、「日本の将来のために、力を尽くしている人があちこちにいる」ということです。
「日本はオワコン」なんて声も良く耳にします。自分でも、危機感を抱いています。
子どもたちが働きに出る頃の日本は、今よりも確実に元気のない状態なんだろうな、と。
でもすでに、世のため人のために頑張っている人たちが、
未来のためにさまざまな研究を行っている人たちが、
日本国内にはいっぱいいるんです。
あらゆる場所、あらゆる組織・企業・団体の中に動きや想いがあるんです。
私はだから、いつも、仕事の枠を超えて、取材で知り得た素晴らしい人の声や想いを
拡声器のように、どこかで発信していきたいな、と思っていました。
そして今、たどり着いた答えの一つが……
自分が磨いてきた「聞く力」を、一人でも多くの人に開示することが、
少しは世の中の役に立つのではないか、という想いでした。
行動している人たち、思索している人たちが、
より多くの人たちと、きちんと対話することで、より多くの実りを
得ることができたら素敵じゃないですか。
だから、何よりもまず「聞く力」について、自分なりにお話することに、
意味があるんじゃないかと思いました。
だって、「聞く力」が先に立たないと、
「宗論するは釈迦の恥」そのものな状態になってしまうんですよ、大概の場合は。
「聞く力」への想いについては。以前のブログもご高覧ください。
この「聞く力」というスキルは
モノゴトの本質をつかむために「多角的に考える力」、
見聞きして、考えた内容を人に「伝える力」と密接に結びついています。
コピーを考える時って、いろんな人の視点に立って考えるんです。
マーケティングの人はこう言っていたけれど、自分はどうか?
自分の近くにいる人だったら、これをどうとらえるだろう?
ネットの向こうにいる大多数は、この言葉をどう受け取るだろう?
本当にいろいろ考えます。
そして、「伝える力」も多種多様です。
私のように原稿を書く人には、説明不要だと思いますが、文章をつむぐことは
非常に大変な労力を伴います。でも、それなりにコツはあるんです。
仕事で、メールを書く時も、ちょっとした工夫が必要です。
私は、日本IBMk時代からずっと、メール偏重な仕事の仕方をしてきました。
メールやチャットでの連絡に慣れています。
まだまだ不慣れだという方には、アドバイスできることもあるでしょう。
そんな思いで、「聞く力・(本質を)つかむ力・伝える力」という
セミナー/ワークショップを始めた次第です。
今回のブログ、大分長くなってしまいましたが、ご容赦ください。
この辺でいったん筆を置きますが、
まだまだ書き足りないことだらけなんです(苦笑)。
なので、12月4日の当日は、時事ネタをかなり盛り込みつつ、
延々としゃべらせていただいた次第です(苦笑)。
セミナー/ワークショップ本編では、もっとピシッとお話させていただきます!
ご期待ください。
Peatix (こちらのグループページ下部から日程をお選びください)
および
ストアカ(このページ内で、18日25日の2日程かお選びいただけます)
に、ご案内のページを作成しております。
何卒宜しくお願い致します。
皆様にお会いできることを楽しみにしています。
お読みいただきありがとうございました。
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